エッセイ・エンジニアリング

誰を尊敬しているか

何かの営みに本当に打ち込めているかどうかを見分ける一つの方法は、自分にこう問うてみることだ――誰を尊敬しているか、と。

映画監督を志したり、音楽をつくろうとしているなら、これはごく当たり前の話だろう。芸術の世界では、人は自分の影響源についていつも語るし、自らをある運動の一員として位置づけることさえある。

ならば、尊敬するプログラマがいて悪い理由はない。そして尊敬するエンジニアたち――身近な同僚も、遠くから知っているだけの人も――は、芸術家がそうであるのと同じように、いつしかあなたに影響を与えていく。

テック業界に入ろうとしている人に、私はよく出会う。彼らにまず尋ねるのは、そもそもなぜそうしたいのか、ということだ。

こう尋ねる理由の95%は、たいてい相手が助言を求めていて、その助言が少しでも的を射たものであるためには、相手の動機を理解している必要があるからだ。だが残りの5%ほどは、その目にきらめきが宿るのを見たい、という期待にある。プログラミングにのめり込んでいった経緯や、仕事への情熱を、楽しげに語ってくれるかもしれない。そういう情熱は、私自身の情熱をもう一度呼び覚ましてくれることがある。まだ一度もそうなったためしはないが、期待するのは自由だ。

それから、誰を尊敬しているかと尋ねる。ここで大した答えを期待しているわけではないが、この業界の――その神話や言い伝えもひっくるめた――広がりに目を向けてもらうには、いい問いだ。

私が尊敬するプログラマのリストは、年を追うごとに増えるばかりで、いまでもすらすらと挙げられる。ジョン・カーマック、カーニハン/リッチー、サルヴァトーレ・サンフィリッポ、リーナス・トーバルズ(Linuxというより、むしろgitのほうで)、スティーブ・イェッゲ、リッチ・ヒッキー、DHH(彼がおかしくなってしまう前の話だが)、トーマス・プタチェク、パトリック・マッケンジー、それに、名前は思い出せないが『Designing Data-Intensive Applications』を書いたあの人。

これらは、少なくともこの業界のなかでは、いくらか名の知れた人たちだ。だが、もっと身近に接してきた、はるかに大きな人の集まりがあって、その人たちが長年にわたって私の考え方を形づくるのを助けてくれた。同僚もいれば、カンファレンスの登壇者もいるし、ただ同じ界隈にいるというだけの人もいる。

その尊敬や憧れは、相手の業績に対するものかもしれないし、世界観や、教えることの巧みさに対するものかもしれない。あるいは、その人と関わったことで自分のものの見方が変わる、何か別のものに対するものかもしれない。このリストは人それぞれ違ってくる。誰もがあらかじめ自分なりの世界観と経験を抱えていて、だからこそ、心に響くものもあれば、そうでないものもあるからだ。

時間が経つにつれ、自分の世界観が他人によって形づくられていくなかで――とりわけ、モデルや構造や概念がすべてであるこの業界では――あなたは、私が「認知的な美意識」と呼びたいものを身につけていくことに気づくだろう。自分の影響源(そして、そのまた影響源)に端を発し、多くの問題へと単純化され、一般化されていく、思考の反復するパターンのことだ。

だから、いまのように業界に大きな変化が訪れたとき、あなたは自分の影響源に目を向け、彼らが何を語っているかを知り、それが自分の感覚や直感とどう噛み合うかを確かめることができる。

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